短形否定「안-」と張形否定「-지 않다」に対する論議

短形否定「안-」と張形否定「-지 않다」に対する論議は数えきれないほど多かったが、その違いについたさわやかな解答が出てこなかったので継続的な研究の対象だといえるでしょう。 また、韓国の人々の直感も、人によって少しずつ違って外国人が韓国語を学習する時に規則を立てるのが大変という点に同感します。 人によって文法性/適合性の判断に差が多くて問題解決が容易ではないんですが、一般的に次のような三つの立場があるということができます。 一つは、全く意味の差がないという立場であり、第二は、意味の差がこれだとはっきりつまんで話すことは難しいが、あるという立場、第三は文体の差だけあって、意味の差はないという立場です。 第一の立場を主張する人たちは主に形式文法(formal approach)をする人達や、'意味'という概念を'論理的真理値'(logical truth value)と思って語用論的意味や談話上での違いは意味の差がないと思う人、第二の立場を主張する人たちは機能文法や談話語用論的研究をする人たちとして、形式が違えば意味が異なるというボリンジャー(Bolinger)の立場を伴う機能主義者と言えるでしょう。 第三に立場を主張する人たちは、ただで意味の差を正確に把握しにくいから文体上の問題と考えている人たちといえるでしょう。 私たち、返答者たちの立場は二番目の立場に近いのに、次のような場合に2人の否定形が差を見せたと思います。
第一に、否定の焦点が単純にどのような行為が起こったか起こらなかったかにある場合には張形否定よりは短形否定が好まれる傾向があります。
例えば、
가: 오늘 아침 먹었어요?
나: 아니오, 안 먹었어요. (?아니오, 먹지 않았어요.)
最初の立場を取っている人はこの場合にも張形否定が同じように自然だと主張する傾向があるが、文脈の意味に敏感な人なら、上記のような状況では張形否定という短形否定がさらに自然で一般的に使用されるということに同意します。 もちろんこの場合に張形否定が全く不可能だとか、使用されていないからといって、我々が主張するのはありません。
第二に、会話上でどのような仮定や推定が前提されているとき、言う人がこの前提された仮定や推定を否定しようとする場合には、短形否定という張形否定が使用される傾向が強いです。 例を聞いてみましょうか。
스테판: 영수씨, 한국은 겨울에 많이 춥지요?
영수: 그렇게 춥지(는) 않아요.
上の場合に短形否定が全く不可能なことではないが、聞く人の意識の中に入っていると思われる命題を否定する時や相手の行動や姿と見て出て他の認識を持っていると思う時は張形否定が効果的でより明確に言う男の意図を伝えてくれると思います。 勿論、ここにも明確な境界や規則があることがないためにこの問題を質問者の意図どおりにすっかり解決して返事は難しいです。

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